飛んではやぶさ君の雑記ブログ

鳥が高い空を飛ぶように、魚が自由に泳ぐように、自分らしい人生を描くためにビジネスマインドやスキルアップ、趣味(旅行や写真)について書いています。

【20代のためのスキルアップ講座】成長のための絶対的法則!自責と他責のコントロールとは

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こんにちは、飛んではやぶさ君です。
 
今回は「成長のための絶対的法則!自責と他責のコントロールとは」についてお話しします。自責とは、自分で自分の過ちをとがめること。また、自分に責任があると考えることを意味します。その対義語の他責は、自分以外の人や状況に責任があるとして、とがめることを指します。
 
仕事ではよく「他責にするな。自責で考えろ」と言いますし、僕も自身のスキルの成長のためには必要なマインドだと考えています。

 

  • すべてを自責で考えてみる
  • 自責は自らに課すこと
  • ただ、考え過ぎない
  • 大事なことは俯瞰した時にどう見えるか
  • 自分の捉え方を変化させる
 
すべてを自責で考えてみる
 
よく仕事中にがっかりする発言に以下があります。
 
「時間がなくてできませんでした」
「●●さんの回答が遅くて」
「そもそもこのタスクどうなんですかね(できてないことを棚に上げて話す)」
 
部下なら「他責にするな」と指摘するのですが、他の部署の方であったり、人によっては僕よりレイヤー上の方がこのような発言をすることがあります。怒りを通り越して呆れてしまいます。(あなたが言っちゃダメでしょ、、、)
 
人の成長はたらればの中にこそあると思っています。特に失敗した時こそ、なぜダメだったのか、どこを起点に失敗にベクトルが向いてしまったのか、これを真摯に考える必要があります。また、皆さんも経験があると思いますが、どんなに用意周到に準備を進めていたとしても、それを扱う人や当日の天気などの状況にさえ不測の影響を受けます。準備が机上の空論と言わんばかり。まさに戦争の摩擦が日々起きます。
 
その時に、
「●●の対応が遅くなったから」
「あの日の天気が雨だったから」
と周りのせいにしていては、その事象からの学びはありませんし、考える行為を止めてしまっています。それではそれ以上の成長を見込むことができません。
 
よく「人の性格を変えるのは雨を自由に降らせるより大変」と言います(すいません、そんな言葉はありません笑)。ただ、人を変える行為はとても大変です。時間と労力がかかります。もし仮にAさんのせいでタスクが上手くいかなかったとして、「Aさんが変わらない限りタスクの実現は難しい」と安易に答えを出してしまっては、それは次に達成を目指すための思慮を放棄していると言えます。「Aさんの性格を配慮すると、Bさん伝いで言ってもらおう」や「Aさんに渡す業務範囲を限定して再度トライしてみよう」、もしかしたら「Aさんに気持ちよくやってもらうために頭を下げよう」なんて打開策になるかもしれません。
 
詰まるところ、他責にしてしまうと次の改善策を考えることを止めてしまうことになります。自責で考えられると、自分として何が足りなかったのか、何をしていれば改善できたのかをしっかりと考えることができます。人間は失敗をするものです。転んだ後にどう起き上がるのか。そのためには事象を自責として捉えていくマインドが大切だと思います。
 
自責は自らに課すこと

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難しいのは、たとえ自分自身が自責として捉え、失敗のフォローに先ほどのAさんに「私も●●のときもっとこうしておけばよかった」と直接の原因がAさんにあるにも関わらず、こちらが謙って伝えても、Aさんは汲んでくれなかったりします。「うん、あなたがそうしてくれればよかったのに」なんて回答が、豪速球の大暴投で返ってきたりします。おお、そんなん取れない、取れない。
 
自分に原因があれば素直に受け入れて、謝罪しその後の対応に繋げる。直接的な原因でないにしろ、その事象に関わっているのであれば、自分に何ができたかを振り返り、自責として反省する。ただ、それは他人に共有するものでも強要するものでもないと僕は考えています。上で述べたAさんのようにこちらの謙りに気づかない方も多いのが現実です。そこはしっかりと線引きをしましょう。自らが成長するために自責として捉え、こちらの意図を理解できない人は、「そういう人もいる」と割り切ることが大切です。
 
ただ、考え過ぎない
 

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すべてのことを自責で捉えて抱え込むことで、物理的負荷や精神的負荷があなたに必要以上に降りかかるのであれば、考え方を切り替える必要があります。月並みですが、何事もバランスが大事です。
 
なるべく自責で考えることでより深く事象を考えることができ、それが主体性や自走の姿勢に繋がるのは間違いないのですが、自責の念に囚われすぎると反省を通り過ぎて後悔になってしまいます。
 
反省とは、自分がしてきた行動や発言に関して振り返り、それについて何らかの評価を下すこと。あるいは自分の行動や言動の良くなかった点を意識しそれを改めようと心がけることを言います。それに対して後悔とは、自分のしてしまったことを、あとになって失敗であったと悔やむことを指します。
 
反省は未来を向いていますが、後悔は過去に向いています。自責はまさに反省の繰り返しですが、人間なので正直後悔もします。それ自体は否定はしません。ただ、すべてを自責で捉えて後悔し、自分自身がダメなんだとネガティブになることは間違いです。そんな風になってしまうのであれば、敢えてすべてを他責にして、言葉にして吐き出せばいいと思います(一般的に愚痴と呼ばれるやつです)。
 
先ほどのAさんのような方には勿論相談できないと思いますが、あなたが思う信頼のおける上司や同僚であれば、きっとあなたの思いに共感してくれるのではないでしょうか。だって人間だもの。相田みつをさんも全力で頷いてくれると思います。
 
 
大事なことは俯瞰した時にどう見えるか
 

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一見矛盾していることを書いていると思われるかもしれませんが、やはり基本は物事は自責として捉えることは自身の成長に繋げられるので習慣とするべきです。ただ、捉え方を誤ったり、抱え込み過ぎるのであれば適度に他責にし、また自責にすればいいのです。
 
ただ、ここの線引きが大事です。詰まるところ、その事象の全体を把握し、原因や責任の所在どこにあるのかを世間一般的に考えて判断し見極める目が求められます。自責にすべきことと、他責にしていいことの線引きを明確に持つということです。これがズレるとAさんのようになってしまいます。
 
人間は感情の生き物です。厄介なのは、感情は時に冷静な判断や俯瞰した目線を失わせます。一時の感情で、自分の責任から逃れたい時もあると思いますし、繰り返しますが、それ自体は否定はしません。ただ、そこから逃げていつまでも他責にし続けることは否定します。それが繰り返されると自責と他責にしていい境目がズレて、戻ってこれなくなるからです。
 
角度は変わりますが、もう一つ。唐突ですが、完璧な組織などありません。すべての組織は発展途上です。天下のGoogle社でさえ最適な組織の定義を常に模索しています。ついては、多くの事象で現組織体制では叶わないことが多分にあります(所属する人やリソースの問題もそこに含まれます)。時に組織に紐付いた理不尽なこともあると思います。これも感情に紐付き、冷静な判断をよく惑わせます(僕もしょっちゅうこの問題にぶつかります)。
 
感情に対しての僕の対処法は「少し時間を置く」です。飲み込めないほどの事象は飲み込めるようになるまで待ちます。冷静に俯瞰できるようになってから再度向き合います。そして現実問題として取り組めるところを把握した上で、自責と他責を切り分けて飲み込みます。世の中、綺麗事だけでうまくいかなかったり、理不尽も多くありますが、それは他責にしながら、自責の範囲を決めて向き合います。この感情を除いた時の線引きがとても大事だと思っています。
 
自分の捉え方を変化させる
 
Aさんのような方はたくさんいらっしゃいます。このような属性の方と話していると、なんとなくの違和感があります。ご経験ある方も多いと思います。
 
そのような人間を、仮に自分と同じ価値観や考え方にすることはなかなか骨が折れます。自分の部下ならまだしも、まったく違う部署の所属であればそんな義理もありません。相手を変化させられないのであれば、自分の考え方や捉え方を変化させるしかありません。Aさんとの接し方や業務範疇を変化させることを自責と捉えましょう。間違ってもAさん自身を変えることを自責として捉えてはいけません。
 
つまり、自責で捉える範囲はできる限り、自分がある程度コントロールできる範囲にすることが望ましいです。それさえできれば、自責と他責の境界線を誤って引いてしまうことはありません。そこが明確に定まっていれば、Aさんの愚痴を言うことを、敢えて他責と理解した上で話すことができるようになります。時にはこれでもか、というぐらい言ってやりましょう。自責と他責の範疇を正確に理解しているあなたであればすぐ戻ってくることができます。
 
繰り返しになりますが、(自責で考えるべきこと)すべてを自責で考えましょう。そうすることがあなたの成長度は飛躍的に向上します。