飛んではやぶさ君の雑記ブログ

鳥が高い空を飛ぶように、魚が自由に泳ぐように、自分らしい人生を描くためにビジネスマインドやスキルアップ、趣味(旅行や写真)について書いています。

【ただの旅行記】航空券・ホテル手配のみで行くドイツ旅行(ケルン編)

こんにちは、飛んではやぶさ君です。新章ドイツ旅行の記事をアップしました。旅行の行き先で悩んでいる方、ぜひ参考にしてみてください。
 
 

2012/2/11~18


今回も年に一度の仕事の長期休みを使って、行ってきましたドイツ。目指すはオーストリア国境付近、フュッセンにあるノイシュヴァンシュタイン城。ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなったこの場所を最終目的地として、 男ふたりの列車の旅が始まります。

1週間、全6都市を巡った旅の模様は下記のように書いていきます。

●プロローグ

●フランクフルト編

★ケルン編

★ヴュルツブルグ編

●ローテンブルグ編

フュッセン

ミュンヘン~フランクフルト編

★…世界遺産あり


ドイツと言えば、グリム童話発祥の地。
実は、グリム童話の初版は、子ども向けではない残酷さや猥せつさでわずか900部しか出版されなかったそうです。読者を意識し、加筆・修正を加えたものが今日のグリム童話になったようで、調べてみると意外と面白いことが満載でした。



今回は数多くあるグリム童話の中から、世にも恐ろしい物語をご紹介。

「手無し娘」
継母または怒る父によって両手を切られ、放逐された女の子の話。幸せな結婚をするが、悪意から手紙をすり替えられて更なる危難に遭う。

物語に興味がある方は、下記URLからぜひご覧あれ。グリム童話版は頁中腹あたり。
※参考HP http://suwa3.web.fc2.com/enkan/minwa/tenasi/01.html


2/12 フランクフルト(来襲!ナイトメア)

ドイツの部屋は気密性が高いらしい。なぜか部屋の暖房が稼働せず寒さで凍死するのではと焦ったが、気付くと朝の6時。心地よく朝を迎えていた。眠い頭はシャワーで覚まし、歯を磨きながら窓から外を覗く。そこは日本ではない国。睡魔に襲われない本格的なドイツ散策DAYがいよいよ始まるのだと、自然とテキパキ、身支度は進んでいくのだった。

そうそう、毎回ヨーロッパ旅行で襲われる悪夢を紹介しておこう。学生のときに訪れたイタリアの初日が印象的だったのだが、自宅から24時間かけてようやくローマに到着し、疲れ切った私はホテルで爆睡していた。深夜4時ごろだろうか、私はそのナイトメアに襲われた。

私はもう最終日を迎えていて、飛行機は早朝出発で朝4時にはホテルを出ていなくてはいけない。すでにその時間を迎えていたと気付くと、私は友だちをたたき起し、しきりにこう言っていた。

「もう飛行機に間に合わない、ヤバイ、どうしよう」


このナイトメアの恐いところは、現実と夢の境界線がないという点。冷静に考えればその日は旅行初日、飛行機に乗る予定などあるはずがない。わかってはいても、寝起きの意識も朦朧とした状態では抵抗の術はなく、私は友だちに指摘を受けるまで、しきりにその言葉を繰り返していたという。

今では、ネタでしかないこの話。ただ、今回私はその悪夢に再び襲われることになる。

旅行初日であるにも関わらず、なぜか「一度帰ろう」とする私。相方のNくんも了承済みでありえないスピードで日本に帰国。次の日の朝を日本で迎え、意気揚々ともう一度フランクフルトに行こうとするが、重要なことに気付く。

「航空券もないし、もう一度なんて行けるわけないじゃん」


普通に考えれば至極当然なのだが、驚くべくことに私には一切その考えがない。そしてそれをNくんに伝えると、Nくんも気付かなかった、と慌てふためく。どうしよう、どうしよう、となぜ帰ってきたのかという理由もわからず、私は目を覚ます。

ただ、私も同じ過ちを繰り返すほど愚かではない。天井が視界に入ると、その後に部屋の一面を見渡す。すると、どうやらここはいつも目覚める日本の光景ではないことがわかる。そして、前日の寝る前と後の事象をひとつひとつ確認していくと、いくつもの矛盾点が出てきた。すぐに私は、それがあの忌々しいナイトメアの仕業だということをおぼろげな意識の中で理解することができたのだ。

いつもやられている私ではない。今回は冷静に対処することで、見事旅の魔物とも言うべきアイツを退けることができた。Nくんにももちろん何も迷惑をかけていない。私の頭の中では、ファイナルファンタジーのファンファーレが煌々と響き渡っていた。

ちなみに、気になったので夢占いで「帰る」夢を調べてみると、下記のように出てきた。

「帰る夢は原点に立ち返ることの象徴で、自分自身を取り戻そうとしているときや、反省する必要があるときに多く現れます。自分の家に帰る夢は、自分らしく振舞うことで幸運が訪れる暗示なので、ミエをはらずにありのままの自分を大切にして。」

(参考URL http://www.dailyfortune.jp/dream/63.html


毎度のごとく襲われるこの夢に、旅は自分に無理を強いているではないかと、ときどき自信をなくすことがある。が、所詮は夢は夢だ。深層心理で帰りたいという気持ちがあっても問題はないではないか。だっていつかは帰るのだから。

と、決してホームシックに襲われているのではないと断言をして、とりあえず日記を続けたいと思う。




2/12 フランクフルト→ケルン


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朝8時、眠い目をコーヒーで覚ましながら私たちはラウンジで朝食をとっていた。コーンフレークにトースト、ハムにチーズ。ヨーロッパを演出するには十分な出演者。彼らを余すことなく口に運びながら、話はその日の予定に。

朝9時にAさん(Nくんの友人でドイツ在住の日本人の女の子)と駅前で合流し、DB(ドイツ鉄道)で大聖堂のあるケルンへと向かう。この大聖堂は世界遺産に登録されている建築物で、157mという高さを誇るドイツ有数の観光スポット。列車の移動も含めて、テンションはウナギ登りだった。

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相変わらず外に出ると、肌にピリリと刺すような寒さだった。私たちはフランクフルト中央駅に向かい、Aさんとスタバの前に合流。相変わらずよくしゃべるAさんからひとつの提案があった。

それは、ICE(InterCityExpress)という日本の新幹線クラスの特急を使わずに、快速列車でケルンに向かおうというもの。

その方が時間はかかるが、メリットがある。それは快速列車に乗ると、ライン川沿いを走ることができ、ライン川のクルージングの名所を車窓から見れるそうだ。本来、オフシーズンでクルージングができないと諦めていたスポットだったので、私たちには願ってもない話。Aさんが同行してくれていることに改めて感謝しながら、私たちは列車に乗り込んだ。

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ライン川は、源をスイスの山中に発し、フランスとドイツの国境を流れ、オランダのロッテルダムで北海へと注ぐ、全長約1230kmの国際河川。その半分以上はドイツを流れ、岸辺を彩る古城とぶどう畑が造り出すロマンチックな景観は、ドイツを代表する風景だ。(地球の歩き方より)

ガイドブックの上には、遊覧船が往来し緑眩しい景色がいくつも広がっていたが、窓の外は冬。裸の木にこげ茶色の山々が連なり、空の色はトーンを落としていた。太陽は水面を煌々と照らすが、やはり外の寒さを隠すことはできない様子だ。

冬らしい少し殺伐とした景色と古城を見ながらしばらくすると、ローレライが出現した。美しい歌声で船乗りを惑わし、船を転覆させてしまう水の妖精(に見立てた大きな一枚岩)だ。彼女は切り立った岸壁の上から、列車の中の私たちを見ていた(ような気がした)。伝説の存在を目の当たりにして、私たちは

「なんだ、ただの岩じゃん。思ったほどでもないね」


と言わざるを得なかった。カチンときたのか、彼女は私たちを水に沈めようとした。が、列車の中の私たちには彼女の声は届かない。それどころか、隣に座っていたドイツ人の男の子と遊ぶ始末。完全にシカトをこいていた。私たちの態度に憤怒したローレライは、景色のフレームから見切れてしまう前に、どこかに行ってしまった(に違いない)。

そんなこんなで気付けばケルン。2時間ほどの列車の移動は居心地が良すぎたのか、まだまだ乗っていたかったのが正直な感想。私たちは重い腰を上げ、渋々降りることにした。

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フランクフルトとまではいかないが、十分に大きなケルンの駅。そこを出ると、すぐに巨大な大聖堂が待ち構えていた。首を上げ、かなり後方に下がらなければ視界に入らないその大きさにただただ驚いた。ザ・ヨーロッパの教会と言わんばかりの存在感は、圧巻だった。

この大聖堂、近くで見るとコゲた壁がいくつもある。きっと戦時中に焼かれてしまった爪痕なんだと、私は歴史の重厚さを感じていた。地元の若い連中が花火を壁に向けて打ち上げるからと聞いたときの衝撃は、さながら空島のインパクトダイヤルをくらったかのようだった。

ちなみに、ここでもモンスターに遭遇。天使を模した彼らは大道芸人クソヤロー。大聖堂の前に陣取り、写真を撮ってあげるからと手招きをする。しかしここで安易にお願いしてしまうと、必ず金を巻き上げられる。私たちは臨戦態勢を取りながらも、L・Rボタンを長押し。ある程度距離も空いていたので運よく逃げられたが、必要に応じて「ぜになげ」もやむを得なかったかもしれない。


私たちは、どうにか戦闘区域を脱し、聖堂の中へと入った。

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大聖堂の中では日曜日のミサが行われていた。荘厳な雰囲気の中、前の方で何人かの司祭が教典を読み上げた後、参列者とともに歌っていた。その声は天井が突き抜けたように高い聖堂内も手伝って、横から後ろからと響き渡っていた。

ミサが終わるまで中には入れない。すでに昼を過ぎ小腹の空いていた私たちは近くのカフェに入り、食事を取ることにした。そこで出会ったドイツ人とフランス人のハーフの女の子は、4歳。人見知りなど一切せず、私たちに興味津津。こちらを見てはキャイキャイ笑い、英語かドイツ語かフランス語かわからない言葉を発していた。今になって思えば、写真を撮っておけばと後悔するほどのかわいらしさ。この旅の数少ない後悔のひとつだ。

昼を済ませて、再度ケルン大聖堂へ。一通り見学したあと、私たちはケルンからローカル線で3駅先のブリュールという町に向かった。ここには、ケルン大聖堂と同じく、世界遺産に登録されているアウグストゥスブルク城がある。私たちは日が暮れはじめ段々と寒さが増す中、この旅ふたつ目の世界遺産を訪れた。


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城の中の写真は撮れなかったが、吹き抜け階段はかなりの見物だった。階段の天井と壁360度すべてに天使やギリシャ神話の神様のような彫刻が彫られており、天井は平面なのだが、描かれている空と天使の絵でいかにもドーム型のように見えるのだ。さながら金のかかっただまし絵だ。

時間帯で見学ツアーが仕切られており、参加したのはいいもののガイダンスのイヤホンを借りなかったばっかりに、熱心に説明するガイドの言葉が一切わからなかった。とりあえずウンウンと頷いてみたが、目立つのでそそくさとやめて、集団の片隅で静かにしていたのを覚えている。

 

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1時間ほどで見終わったので、庭を見学し戻ることにした。帰りは、ケルンのメッセ前の駅でICEに乗り換え、1時間かけてフランクフルトに。はじめて乗った特急は行きで乗ったものよりもさらに快適。何より車内がキレイでオシャレだ。ガラスの自動ドアで仕切られた車両で、木目調の壁や床の絨毯が心をホッとさせる。


外は暗くなり、最大時速300kmで走るものだから、景色はほとんど見れなかった。ふと横を見ると、Nくんは疲れて寝てしまい、Aさんは窓の外の遠くを見ていた。私は眠くないので、Aさんと話してみたものの、会話はあまり盛り上がらず、話はブツ切りに。気まずさに耐えきれなくなった私は、タヌキ寝入りという最終手段をとるしかなかった。ただ、それでも眠れない私はAさんとの会話をどうにかこうにか続けつつ、気持ちよく寝るNくんの寝顔を横目に、思った。ICEは言うほど速くないな、と。

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フランクフルトに着くと、MAREDO(かな?)というドイツのファミレス的なレストランで夕飯を取った。ここはセットを頼むとサラダバーがつくので、ここぞとばかりに野菜を摂取したのを覚えている。

食事を終え、解散したのは9時ごろ。Aさんとはここでお別れ。次の日からフランクフルトのメッセで仕事があるらしい。私たちは、2日間ドイツを案内してくれた感謝の印に、日本土産のカニ味噌汁を渡した。Aさんは喜び、そして振り返らずにまっすぐに帰って行った。パーティーは2名に減り、次の日からの旅に一抹の不安を残しつつ、夜は更けていくのだった。


Aさんのおかげで次の日からの旅が本当に楽になったのは言うまでもない。彼女に列車のフリーパスの購入代行をしてもらったのが大きかったが、それ以上に私たちがドイツに慣れるまでの間、列車の乗り方からドイツ人の気質までいろいろ教えてくれたのだ。本当に感謝したい。

元気一杯のAさんのふとしたときの影のわけを知るには時間が足りなさすぎたが、私がわかるのは彼女は2年前単身ドイツに乗り込んだ勇敢な戦士だということ。勇敢な戦士とは語弊があるかもしれないが、一度腹をくくったのは間違いないはず。ドイツ語もしゃべれず、ツテもないところから、家を借り、仕事につき、自給自足で現在ドイツで生きていることは、自分の中での一大決心がなければできないことだ。彼女の行動には尊敬の意を払うとともに、私自身いろいろと刺激を受けた。

「最近腹をくくってそこを目指したのはいつだろう。」


長文・駄文を読んでくれた方、ありがとうございました。次は、ヴュルツブルクのお話です。

 

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